筆の向くまま文を書く 16
気分の変動が激しいです。
思うままに生きれば生きるほど激しさは増します。
陽が明るい頃、多数の人間の中に居る私は、陽が落ちてからの私を想像させないようです。
このブログには、陽が落ちてから向かうことが多いです。
朝このブログを更新している場合、今日も頑張ろう!楽しい!という記事が見受けられます。
しかし、一日が終盤に近づくと、一転します。
人生終わった方が楽なんじゃないかと思うくらいにトーンダウンします。
自分でも、どうして?なんで?って思っています。謎のひとつです。
陽が昇っている頃の、多数の中に居る時の自分でずっといれば、こんなにしんどいことを思ったり考えたりしなくていいのになんで切り替わるの?って不思議でなりません。
やることがないから、つまらないことを考えてしまうのか
こうやって書いていたら、ふと自分の中からの声
”それをつまらないことだって誰が決めたんだ”
(これ今までも何度か気づいてきたことだけどな)後丁寧にそんな補足付きで。
ああ、つまりは、そうやって考えてしまう事を、つまらないこと、いけない事だって決めつけているのは私だってこと?
”考えたければ考えればいいし、怒りたければ怒ればいい。泣きたければ泣けばいいし、機嫌が悪けりゃそれでいい”
簡単にいうけどね、自己中な行動の人間ほど人間に嫌がられるんだよ。そんなに気分のまま生きてたら、集団の中に居る時にも我慢が効かなくなるんだからね
”じゃあそういう風に行動すれば?―――我慢。嫌がられないための我慢?でもそれがどういう結果を招くか、良く知ってるだろ”
”でもま、集団の中じゃ我慢が必要なのもわからなくもない”
”だから、集団のなかじゃなければ、我慢しなくていいんじゃねえ?自分の事をつまらないとか、自分がどうみえてるかとか、見てる側が決めるさ”
見てる側が決めるとかさぁー
この子やっぱやだわ、って思われるのは、やっぱり辛いよねぇー
”まぁでも、しょうがないなw”
大体、そうやって簡単に自分変えれたら世話無いよ
”…まぁ…それもわからなくないけど(苦笑)”
ぼちぼち、だね。ぼちぼち。