Sonata's diary

塗り絵とか写真とか、趣味の記録をマイペースで付けてます

無心を邪魔する記憶 2

暗い記事です。閲覧注意。長文です。

 

 

 

 

 

 

 

 

お前はなにやっても中途半端だからなぁ。

 

あれこれと手を出し始めた私に追い打ちをかけた言葉のひとつでした。

そのうち、創作では彼に認めてもらえないと思い、服の好み、行動、言動、考え方、全てを好みのほうへ変えるように努力し始めました。

好み、といっても、彼の考えに添うように、同じになるようにです。

つまり、”できないものを見下す”、”自分の利益になるかの判断ができるようになる”、そういうことを解る人間になるようにです。

彼がなにかに文句を言うと、私も同じように言うようになった。

いうたび、自分を責めた。苦しかった。そして怖かった。やったことは必ず自分に返ってくるからだ。自分も同じ行動をして改めて思った。彼はこんな毎日を過ごしていて怖くないのか?罪悪や自分を責める、言って悪かったなって気持ちはわかないのか?と。

否、ないのだ。できない奴が悪いのだ。言われても仕方がないのだ。悔しければできるようになればいい、のだ。おそらくこういう考えだ。

 

服装もシンプルにして、柄の入っていないものを選ぶようになった。ほとんど黒しか選ばなくなった。中でも彼の嫌いな緑は、服も他でも絶対選ばなくなった。

どうにかして、私をみてほしかった。認めてほしかった。

振り返れば私は彼のコピーを目指していたのかと思うほどだ。好きになってほしかった。

思えば彼も彼なりに大事にしてくれていたところもあった。けれど、私が求めていたのは休日の生活用品の買だしの足でもなく、買ってきてくれるおやつでもなかった。

ずばり、スキンシップだ。

手を繋ぐでも、なんでもいい。長い間くだらない会話をするでもいい。とにかく、交流がほしかったのだ。

 

彼が何を欲していたのか。当時の私はそれすら理解しようとせずに、必死で表面だけ取り繕った。部屋の整理整頓をしてほしかったのは知っているが、あまりに物が多かった。片づけたいからと言っても、手伝いの手は伸びてこなかった。

言い訳だろうか。言い訳かもしれない。

けれど、住み始めた時、とりあえずなんでも物置につめこんじゃえ、と二人ともそんな性格だったため、物置はろくに機能していなかった。表現するなら子供のおもちゃ箱状態だった。

家の動線だって、なんにも考えられないまま、都合がいいからという理由だけで物の配置が決まっていた。二人で住む家だ、一人で勝手に模様替えもできない。大物は特に、一人では動かせない。

聞いても、いつも乗り気ではない声が返ってきた。

計画性がない。ちゃんとどうしたいか考えてから言えと言われたことがある。あんたはなんも考えないのか?じゃあ今の家の状態で満足しているのか?片づけてほしいのだから満足していないんじゃないの?まさか、配置には問題ない、散らかっているのは片づけない嫁が悪いと思っていた?

おそらく、そうだ。

キッチンにテーブルはなく。移動を妨げる場所にPCがある時点で、同線はおかしいのではないか?違うのか?

私はどんどん手詰まりになり、彼の帰宅が遅いのをいいことに、毎夜アルコールに嵌まった。それでも、”酔っぱらいは嫌い”の彼の言葉があったため、どれだけ飲んでいても彼の帰宅には必ず起きてお帰りをいい、翌朝は起きて送った。

だんだんと私の私生活は崩れていった。病んだ心が染みだすようだった。家事すらできない、ダメ人間と彼には映っただろう。

そして、面白いように私は太り、ますます自分に自信など無くなった。

 

毎日の生活は、彼の機嫌を損ねないか、それだけを気にする生活になった。

本来はもっとやるべきことがあったのに、もう何も見えなかった。

彼の機嫌を損ねたら、私も”できない人間”と同じように言われるんじゃないか。と、怖かった。

そして、店にクレームをつけることも、しばしばあった。彼は必ず自分の利益になるように話を収着させる。

もう怖くて窮屈で、限界だった。

自分が無くなる。

 そして今でも、こんな記事を書いて、万が一検索にでも引っかかっって目についたら、大変な事になるんじゃないか?ものすごく怒らせるんじゃないか?そんな恐怖心がある。