無心を邪魔する記憶
暗い記事です、閲覧注意です。
創作は好きで、多趣味でした。
1に手をだしては、2に手をだす。
そして、また1をしたり、3をしたり…。
自分の作りたいように、やりたいようにする。たとえ出来上がりが最悪でも、それがいい。それが楽しい。それが創ること。
でも
作ったものを見せても、ダメ出しばかり。
制作手順の効率の話、仕上がりの甘さの指摘ばかり。
高度な技術、プロの方法の話。
お前の作る物、描くものは、いまいち。
唯一、これは良いとダメだしがなかったのは、一言目に褒めてくれたのは、あとにも先にも羊毛クラフトの、ある一作だけでした。
それは、必死になって丸一日使って作った代物で、手順を手順通り踏んで作成した、私としての感想は疲れた>楽しいという代物でした。
だんだん、創るにはどうしたら効率が良いか、効率よく作ったといえば褒めてもらえるか、考え始めました。
出来がよくなければ、より高度なものでなければいけない気がしてきました。あれこれと手を出してみては、効率と出来栄えを求め、当然手を出したばかりのものではそんなものは得られず、満足させられるものを必死に求めるようになりました。
認められたかったのだ。ただ、それだけだ。
完璧主義で、大体の事は手際よくやって見せる彼。
彼は”できない人間”が嫌いだった。
だから、できない人間という烙印を押されたくなかっただけ。
こいつは出来ない人間、ダメな人間と思われたくなかっただけ。
脳内がそれらに支配されていた。
創作が好きだ。自分の世界を表現するのが好きだ。
独創。創作を否定されると、私という人間にはほとんど何も残らない。
やがて、物事の効率を探すようになり、こうした方が賢い方法、この方が効率がいい。そんなことが、私の中でも当たり前になるようになってきました。
ずっと聞かされ、インプットされる。何につけても賢く生きる方法、手段、知識、デキルモノ、強き者の支配する世界。
できないものがけなされる世界。
私は、ダメな人間。
不意に、前触れも無く湧き出てくる記憶。
こうなると、おもうように創作などできなくなる。
呼吸すら正しくできているのかわからない時もある。
歩けているのか?生き方はあっているのか?
部屋の物の置き場所は?
もっと綺麗に整頓できていないとダメなんじゃないか?
あれもこれも全て違うんじゃないか?
自分の思うように作れていないような気がする、何を作ってもダメなものに思えてくる。すべて捨てたくなる。
自分さえ間違いな生き物じゃないか?
生き方すら全否定されている気になる。
消えてくれてはいない。消えなどしない。
こんな短時間では、消えてくれなどしない。
いつか、この体内に溶けて消滅してくれる日を待つだけ。