Sonata's diary

塗り絵とか写真とか、趣味の記録をマイペースで付けてます

過去を振り返る

例えば、買い替えるんじゃなくて、今のをもう一度きれいにして使う、とか。

例えば、収納場所を買ってくるんじゃなくて、今、家にある収納場所で片づけてみるとか。そのためには、どうしたらいいかとか。

離婚前はどうしてできなかったのかな、と、ふと思う時があります。

色々考えはめぐるんだけど、最終的には、あの頃の私は、いろんな意味で一杯一杯だったな、というところに行き着きます。

こんな風に休日、なにもしてないのが幸せ、と思うこともなく、一日がなんだかよくわからないまま結構な速さで過ぎ去り、終る。

洗濯して、掃除機かけて、愛犬と散歩に行って・・・今と比べても特別なことはしていないのに、どうしてあんなに家の中が辛かったのかなと思う。

どうしてあんなに散らかったまま、放置できていたのかわからない。片づけもできなかったのかわからない。

旦那は家の事を一切しない人でした。

それは結婚前からわかっていたけど、これがこんなに大変な事とは理解していませんでした。

男の人が料理するなんて。と、私も若いころは思っていました。

そんな私だから彼を選んだのかもしれません。

言葉通り、掃除、洗濯、料理、彼は一切しませんでした。別に悪いことではないと思っています。

けれど、嫁の片づけが下手だと思い、自分のほうが上手い方法を知っているのなら、手本を見せてくれればうれしかったんだろうな、と思いました。

こんな感じでやってみ?と。

嫁として、整理整頓、片づけが出来ないのは最低だったのかもしれませんが、お互い歩み寄る、できないことを学びあって夫婦って続いていくのかもと近頃思いました。

未だに、彼が何を思い、何を求めていたのか、真実が私にはわかりません。

彼も同じだと思います。

片づけに関しては、相手のものを片づけるという行動が怖かった私。

今にして思えば、明確に分かりやすく片づければ、彼も文句は言わなかっただろうと容易に考えられます。

けれど無理だった。家の中のものを移動させたりするのが怖かったんだから。

ちょっと物を移動させた時、その在処を聞かれた時には、とても緊張状況に陥ってしまっていました。答えなきゃ、早く、スムーズに在処を伝えなきゃ・・・!平面は平常を装い、ビクビクしながら答えていました。それがたとえ、爪切り一つでも、です。

片づけた人に在処を聞くなんて、当たり前なのに。どうしてそう思えなかったのか・・・そう思って、やはり行き着きます。

怖くて仕方がなかったんだな。

 

現実からいつまでも逃げ続けた私は、自分の悪いところから目を背けて、努力をろくにしてこなかった。そんな考えに至ることもあります。

過去、存在した夫婦には、決定的に、コミュニケーションが足りなかったのだ、と思います。

相手が疲れているから、休日は家にいてもらおう、そんな思いやりから相手が買い物に車をだそうかって言ってくれても断る。

相手が疲れているだろうから、自分でやろう、なんでも自分で…。

そんな風に思っていた。

逆の立場だったら、ちょっと寂しいかもしれない。

もっと、甘えてよかったんだと、思います。

どっちにしろ、怖かったので無理でしたけどね・・・。

 

公開してよいのかわからん駄文、失礼しました。

 

追記。読み返していてわかった。怖いと思っていた旦那が居なくても家の中が辛い場所だったのは、自分が目を背けていることがたくさんある場所だったからだ。